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    3 年前

2011年3月21日月曜日

瓦礫の谷間からの報告 後編



やまの上の避難所の小学校に到着。


卒業式の垂れ幕が、なんか、せつねえなあ。




ここは比較的豊富な物資が届いてた、風に見えた。
でも、どうなんだろ。こんだけの人数だからなあ。

探し人ボード。これが3面あるんですが、びっしりと。


水はこんなカンジでした。
上限あるのかな?



そして、思ったのが、意外とあったかいのね。ヒトが多いからなのかな。ストーブつけてたりしてんのかはわからんのですが。
夜はどうなんだろ。やっぱ寒いだろうなあ。


ここでうちらの持ってる物資の半分は降ろしていこう。




おれらのバンのテールゲートをあげて物資を下ろしてると、
たくさんのヒトがでてきて、物資を運ぶのを手伝ってくれた。

慣れてるw。たぶん、頻繁に物資が来るんだろうな。
じゃないと、これだけの人数の生活を保つことはできないだろうなあ。



ガシガシと運ぶ。


たくやくんが言ってたけど、


「実際、家が残ってるヒトたちのほうが避難所の人たちに比べるとちょっとキツそうです。
避難所にはこうやって頻繁に物資が届くけど、家に住んでる人たちには届きませんからねえ。」

あ、なるほど。

たしかに避難所だとプライバシーはないけど、さみしさがまぎわれたり、政府の力を感じる安心感、
みたいなものがあるのかもしれないっすね。


ってことは、今度また支援部隊としてくるときには、そういった家に住む人たちに対しての救援を
していきたいところですな。可能であれば。



  
物資を運び終わってクルマのところに戻ると、

耳の聞こえないおじいちゃんと、そのムスコとおばちゃん、そして、なんだろ、リーダー格らしいヒトが
わーわーしとる。

「うちのおじいちゃん、透析にいかないと死んじゃうの。。。きょう行かなくちゃいけない予定なんだけど、
燃料があるクルマがなくて病院まで行けないの。もしよかったらおじいちゃんのこと乗せて
病院まで行ってくれない?!」

「いいですよ!もちろん!すぐにいきましょう!」






この直後、おばあちゃんとムスコ、号泣。
おれら、拝み倒される。

「ありがとうございます!ありがとうございます!本当にありがとうございます!!!」




おじいちゃんと工藤ちゃん。

工藤ちゃん、20年ぐらい工藤ちゃんてみんなに呼ばれてるらしいんだけど、

「本名、工藤じゃないんです。」


ってまぢか!wwwww 「ビーバップの工藤ちゃんから来てるんですw。」

そうなんだwwwwww。

「後輩とかにも工藤さん、って言われるし、カードとか偽造だと疑われたりします。」

wwwwwwwwwまぢかwwwwwwナゴムぜ工藤ちゃんwwwww。
ちゃんづけなんだけどおれの一個上w。さーせんw。


10時の透析に間に合った。よかったね。おじいちゃん。





このおじいちゃんを乗せたおれのハイエースの燃料は、

NFK東北基金でいれさしてもらっておりやす。

おれのクルマにガソリンが入ってたおかげで、このおじいちゃんの命を救うことができました。

まぢほんと、感謝しておられました、おばあちゃんとムスコさん。


病院のあとにたくやくんのおさななじみと合流するので、駅の裏にいきました。
そこにクルマを泊めてたら、おまごさんをおんぶしたおばあちゃんがきました。






なにかないかと聞くと、おむつがねえ、と。
さっきぜんぶおろしちゃったなあ。もっとこどものモノ持ってくればよかった。
おむつほしがられておむつ渡せないと、けっこう凹むなーおれ。ってことに気づいた。
次回はおむつたくさん持っていこう。



いつのまにか、ハイエースの後部座席にはたくさんの男を乗せてました。




友達が生き残ってるのは、すごいあがるらしい!!!
そりゃそうだよな!!!友達が生き延びてたら、そらうれしいわ!!!





そして、最後の荷物を、また工藤ちゃんちのガレーヂにおきにいく。




工藤ちゃんちのうらは、このとおり。

「きのうまであそこに死体が転がってたんすよ。うつぶせの状態で。老人でしたなあれは。」


自衛隊がほんとかっこよかった。


ここで工藤ちゃんとお別れ。


「いつかまた来てください。」


もちろん。すぐまた来ますよ。



「観光で来てもらいたかったなあw。」


そうなれる日が来るようにみんなでがんばるしかねえっすな!


じゃ、工藤ちゃん、また!!!



川の中にクルマが沈んでた。
あのクルマの中にはヒトがいるらしい。



岸壁に、300トンクラスのマグロ漁船が打ち上げられてた。


船が燃えても消火活動はしないで、そのまま燃やしておくらしい。


よくテレビであたり一体火の一面になってた画が流れたりしてましたが、
あれは船の火災が原因だったそうで。


油が海にもれて、そこに火がつく。
その上にある船が火災になる。
で、船っていうのは、一箇所にとどまるんじゃなくて、火ダルマになりながら
いろんなところにガロンガロンって転がったりして、そこでまた火が広がったらしい。
聞くと、すげえコワイ。



で、よし、さて、仙台にたくやくんを送っていかなきゃ。


で、たくやくんを降ろして、東京にけえるべ。



「本当にありがとうございました。」

いやいやいや。こちらこそ、おかげで物資を届けられたっす。

ひとりだったらぜってームリw。成田さん、紹介してくださってあざっした。


「政府じゃない、民間のヒトが救援物資を届けた、っていう事実は
被災者にとってものすごい喜ばしいことなんです。
気仙沼の人たち、たぶん、すごい喜んでたと思いますよ。」

そりゃえがったっす!!!

じゃ、たくやくん、ホナマタ!


で、おれ、帰り際に、たくやくんに義援金の中から3万円を手渡そうとすると、

「いやいやいやいやいや、オカネは、、、けっこうです。」

「いやいや、これでこっちで物資買ってみんなのために使ってくだせえよ。」

「いやいやいやいやいや、甘えるときは、成田さんに頼みますw。だいじょうぶです、成田さんには
甘え上手なんですぼくw。」

といって、かたくなにカネを受け取ろうとしなかったな。
ぜってー困ってるはずなのに。それで食料とかかいこんで、まわりの困ってる人たちと分ければいいのに。

こっちのヒト、なんか、イイなw。スキだなw。おれみたいなジコチューと正反対や。


車内にギッチリ積みこまれた物資がすべてなくなった。一日で。
そして、帰り道ひとりぼっちインザ東北道。





いや~~~~、なんか、ヘンな言い方だけど、よかった。

なんだろ、うまくいえないけど。


あ、成田先輩に電話しよう。

でもさっき仙台に着いたばっかだったっぽいから忙しいかな。

あとで電話しよう。。。


と思ってたら、成田さんから電話が。




「もとやんくん!東北の人間のために、ありがとう。」


ちょ、あれ?
なんか涙が止まらんのですが。
あんまし前がよくみえねえ。






この二日間で、おれの人生観が変わった。

なんだろ。この二日間を経験する前とあとでは、なにかが確実に変わった。




成田さん、おれにこんな機会を与えてくれてあざっした!!!
先輩とサポートしてくれたみなはんのおかげっす!

これは長期戦になるだろう。復興までかなりの時間がかかるだろう。
それにいつ東京がこんな被害を食らうかわからねえ。
つぎはわが身だ、と思うととても人事だとはおもえねえ。
今回この支援部隊に参加さしてもらって思った。




また、ちかぢかいきます気仙沼。
ほかにもたくさん被災地はあるけど、とりあえずは気仙沼からだな。




































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