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    3 年前

2011年4月22日金曜日

「2011.3.11」   無空”五穀豊穣"さんの日記

卍NFK東北震災基金FUND卍
NFK支援活動報告 無空”五穀豊穣"班

「2011.3.11」   無空”五穀豊穣"さんのMixi日記から



大変お久しぶりです皆さん。
いきなり、最近の事を色々書きます。
まず、この度の東日本大震災により犠牲になられた方々のご冥福をお祈り申し上げます。被災された皆様、並びにご家族の方々には心よりお見舞い申し上げます。一日でも早い復旧と復興、お祈り申し上げます。



震災から一ヶ月以上経過。皆さんはどんな感じで過ごしましたか?
僕は老人ホームの相談員をやっておるんですが、自分とこの施設の対応に追われてました。

3月11日は久々に高熱を出して寝込んでおりました。体温計を買ってみたら39度。仕事を休みひたすら寝てる時に揺れが来て、飛び起きてTVとスピーカー(トールボーイなので揺れまくる)を同時に体で支える。揺れが収まったところでTVをつけてみる。


そこで日本に何が起こったのかを理解した。

普段刺さってない家電話を繋げて施設にTEL。やっぱりEVが止まってる。男性職員が一人しかいなかったので、何かあった時のために施設へ向かうことに。ゼナとウイダーを一気飲み、服を着替えてふらふらになりながらバイクで向かう。
EVが止まってるため車椅子の人をかついだり、食事を階段でリレーしたり、交通がマヒして出勤できない職員を迎えに走ったり・・・。
不安な利用者をなだめたり、家族からの問い合わせに対応したり、業者や本社に連絡とったり・・・。夜中まで奔走。熱出してくたばってる場合じゃなかった。

そっから余震やら原発やら計画停電やら物資不足やらで毎日ドキドキ。
特に停電。人工呼吸器の人や痰の吸引頻回の人がいるから命に関わる。
消防はいろいろ相談に乗ってくれたけど、行政は全然ダメだったなー。
原発は色んな所から情報が入ってきて、正直びびった。親しい人間には「いざとなったら逃げろ」って言ってたし、俺も施設職員じゃなかったら避難してたかもしれん。
結局、うちの施設は事故が無くて良かった。

老人ホームはみんなこんな感じで大変だったと思う。停電になった所はもっと大変だったろうし、被災地でライフラインが止まった所は・・・とても想像がつかない。
津波で流された特養とかグループホームのニュースなんかは、とにかく胸が痛んだ。ベッドごと流されていく利用者を前に、なすすべも無い施設職員。その気持ちはとても計り知れない。
自分の所がある程度落ち着いたら、何らかの方法で支援したいと思った。


色々考え、とりあえず直接物資を持って行きたいと思った。物資が届いていないニュースを見て、こういった急迫の危機に対する救援は、やはり手早い 行動でしか成せないのでは(結局手早くはできなかったけど…)と思ったのだ。色んな支援がある中で、自分はまずそういった支援がしたいと思った。もし自分 にそれができるなら、一体どんな方法があるのだろうか?
色んなところに相談した結果、「もとやん」さんたちNFKの支援活動に参加させてもらえることになった。彼の仲間たちは震災後すぐに行動を起こしていた。

俺は親戚が南三陸町の隣町に住んでいる。幸いにも全員無事だった。そこの従兄弟に、被害の大きかった南三陸町あたりの「避難所」「老人介護施設」などの情報を集めてもらって、物資を届けよう!という計画だった。それから物資が行き届かない民家も。
施設に関しては、うちの施設が同じような目にあったら…と考えれば欲しい物資が大体分かるんじゃねーか?と思って用意を開始した。物資購入予算は自分らで集めたお金の他、NFK基金の一部を預からせていただいた。無駄にするわけにはいかない。
どこの店も品薄で購入規制だらけなので一週間かけて少しずつ集める。
毎晩施設の車を乗り回して近辺のドラッグストアを漁り、施設のロッカールームに物資を集める俺w
オムツ類は施設から大量に盗… いや寄付していただきました。
食料品などは出発前に買い物部隊を率いて用意しよう。

ところが、使う予定だった親父のハイエースで弟が事故→売却。
友人のヴァナゴンを依頼→故障するからマジやめとけと周囲に反対される。
親父の友人のハイエースを急遽手配→保険が35歳以上だったので却下。
叔父のセレナを借りることに→車検が切れ、軽自動車購入のため廃車。
慌ててレンタカー予約。
・・・何だ?行くなって事なのか?

実際そうだったかも。
出発前夜、東北で大きな余震が発生。
親戚と電話すると「この前と同じようなレベルの地震だった。混乱が予想されるから明日はやめとけ」との事。
一日中悩んだ結果、一週間延期する事に決めた。
レンタカーの当日キャンセルは相当金とられるんではないかと思ったが、今回同行メンバーのカドワキが常連だったんで「御代は結構です」との返事。ありがとう。



出発当日の午後、やっと車が決まった。母親(公務員)が自分とこの組合から借りてきたノア。普段はゴルフとかにしか使われていないらしい。よしそれで行こう。
当初母親が「車はハイエースだと思う」と言ってたので「おおお!やった」と思っていたが全っ然ノアだった。「何でハイエースだと思ったの?」と聞くと「だってうちにあったハイエースとキーが同じだったから」と。
トヨタはみんな同じキーじゃねーか…?

結局、ノアは三人乗車で荷物ギチギチだった。もっとでかい車が欲しい。普段キャラバンに乗っているからなのか、すごい乗りづらかった。
今回の件で、ほんとハイエース持ってる人をカッコいいと思った。バン・ワゴン車探して周囲に聞いてみたら「軽ならある」ばっかり。いざというとき デカイ荷物、大量の荷物を運べる車に「男らしさ」を感じてしまったw ヴェルファイアとかエルグランドじゃなく、ハイエースだな!

日程を延期したために俺の休みが全然合わなくて、出発日も帰ってくる次の日も仕事になってしまった。車を取りに行ったり荷物積んだり人積んだ り・・・ただでさえ仕事が終わるのが遅くてテンパってたので、食料品の買出しを依頼したが連絡不十分な状態で人を待たせてしまう。ごめんなさい。
最後の物資を積んで浦和を出発したのがAM3:00ごろ。予定より大幅に遅れた。すでに眠い。



 東北道、福島西あたりで事故通行止め。
しかし下ろされるIC直前で回復。
東北道は地震の影響でところどころ波打っている。スピード出してるとハンドル操作を誤りそうになるので慎重に。これが事故原因なのか?


福島は桜が満開だった。

SAには全国の警察、自衛隊、また支援物資積んだ人達の車がたくさん。


築館ICで下り、親戚の家へ。9時くらい。予定を三時間くらいオーバーしてた。
親父からガソリン携行缶や食糧、お金を預かっていたので渡す。叔父からはおにぎりと肉じゃが、地図を貰った。叔父が気合入れて握ってくれたおにぎりはでっかくて、ウインナーが横に二本入っててウケタw 



本当は従兄弟に案内してもらう予定だったが、日程変更の為に予定が合わず地図で行く事に。とりあえず○が付けてある施設を目指していく。「がれきの横通るときはタイヤ擦らないように気をつけろよー」ということらしい。


今回一番運転してくれたカドワキ。





南三陸町に入る。特に変わった様子はない。












が、突然視界が激変する。
























言葉ではなかなか言い表すことができない。

俺は、焼けてはいないけれども「焼け野原」だと思った。
この光景がどこまでも続いていく。海から何キロも離れたところまで。
写真の撮り方がよくわかってなくて、マクロモードだったみたい。できるだけ正確に伝えようと思って一眼借りてきたのに。


叔父に案内された施設に行ってみる。しかしどうやら叔父の話と違っている。避難所になっていないし物資もグループ内の他施設から運ばれてきてあるということなので、違うところに行くことに。

 



志津川小学校にて話を聞く。欲しい物資、年寄りや子供がいる避難所、孤立した地域など。初めて避難所の体育館に入った。ここで寒い中一ヶ月以上も生活して いるのかと思うと、、、。申し訳なくて中はジロジロ見れなかったが、全国からの応援メッセージや物資がたくさん集まっていたのが目に入った。

近くの老健が避難所になっていると聞き、向かう。そこで介護用品とか寄付しよう。
















なんか、臭いとかもすごい。
このがれきが濁流と共に押し寄せ、人を飲み込んだと想像すると
マジで吐き気がした。これは・・・生き残れない。




到着して受付で聞くと「近くの避難所に責任者がいるから、そっちで聞いてください」との事。



その避難所に行ってみるが、なかなか責任者が来ない。仕方が無いので普通の物資を置いていく。もちろんお子様にはお菓子攻撃ですw
数は足りないかもしれないが、物資は来ていたようで少し安心。



今回の構成員。カドワキとチャラオの慧。チャラオは俺の実弟です。三男。

ここでも違う施設を紹介してもらい、そこに向かう。









途中、家を片付けている人たちにも声をかけて物資を置いていく。




だんだん気づいた。山積みの物資をきちんと仕分けておかないと管理できない。「何か必要なものありますか?」って聞いたって「何があるんですか?」って話 だし。標準食料セットみたいなのあらかじめ作っておいて、それの他に「こういったのもあるんですけど要りますか?」とか「もっと数で欲しいものあります か?」とか聞いたほうがいいかもなー。
今回、幅広く色んな物資を持ってきたので数とか種類把握できてなかった。最後に下のほうから離乳食が少し出てきて「あの母子にあげればよかったorz」ってなりましたんで。次はそうしよう。

「春日部って埼玉でしょ?」・・・ナンバー見ておっちゃんが話してくる。
「俺の弟が草加にいるんだ」・・・おお。まじすか。俺草加から来たんす。縁ですね。
「自衛隊に覚悟してください、って言われた。ここらは数年かけても元に戻らないって」・・・そうなんですか・・・。俺たちは「がんばってください」しか言えなかった。



最初は一家族にどんだけ渡せばいいのかみんな分からん。カメラぶら下げてるくせに物資下ろしてたんであんまり写真撮れてない。

子供用オムツ、一応持ってきて良かったす。いました赤ちゃんが。ミルクや離乳食も置いていく。
お母さんが「大きくなったら埼玉に遊びに行くからね〜」なんだか嬉しい言葉でした。



志津川駅周辺を見ていく。一ヶ月以上経っても、この状態。直後はどんなだったのだろうか。積み上げてある場所は遺体が無いと確認されたのだろう。ということは、そうなっていない場所にはまだたくさんの遺体があるはずだ。一日でも早く、家族の元に。祈るばかり。










自衛隊の災害本部があるベイサイドアリーナ。帰りにまたここ見て帰ったんだけど、駐車場満車ですんげー物資来てる。ここらへん余裕なのかって思ったのでス ルーでしたが、マイミクさんの話だと物資は捌ききれずに停滞、子連れの親子は車中での睡眠を余儀なくされているという。駐車場所が無いと眠れないのに、マ スコミの車がバカスカ停まっているそうだ。








何かが燃えてる。燃やしてる?


ゾッとする。廃墟の町。砂塵が舞う。


















雲行きがあやしくなり、雨が降ってきた。





ダイビングの格好してもぐってる人が数人いたのだが、自衛隊とかじゃなさそうだった。 




 みんな思わず「うわっ」と声が出てしまった。鳥居にぶつかる車。




施設に着いて、物資を下ろす。ここは女性・子供がほとんどいなかったため、生理用品とかは要らないそうで。コーヒーやらジュース、缶詰、水とか下ろした。 でもチャラオが持ってきたタバコに一番テンションあがってたお兄さん。「マジスカ!?」ってw 雨の中、帽子を取って深くお辞儀をしてくれました。



物資が半分以上さばけてきた。車内でどこまで行こうかと話し合う。
地盤が下がってるし地すべりとかもあるかもしれん。地元じゃないから分からんけど。
とりあえず数件まわって、一度志津川小学校まで戻ろうか。



・・・太平洋沖地震。



カラスとかカモメとかが飛ぶ。






小学校に戻り、さっきと違うお兄さんと話してみる。
「ここはまだ電気無いんで、老人や子供は電気が復旧した地区に移動したんです。老人用とかはそっちに届けてくれたほうがありがたいですね」
そうですか!了解です。









ここらへん
家は傾きっぱなしだし、ガス缶ゴロゴロ落ちてるし、がれきは道路スレスレに高く積みあがってるし。危険でした。 







その地区、団地っていうから団地を探してたんだけど…どうやら建物が団地って訳じゃなかったみたい。集落の名前?なのかな?中心になってるセンターには子供も老人も女性もいるそうなので、残りの物資を全部置いていく。





今回はここで終了。
正直、不完全燃焼な部分多数。リサーチがまだまだ足りなかった。もっとたくさんの人、もっと困ってる人のところに配れたはず。物資に関しては行っ てみなければ分からない&その時、その場所によって求められるものが大きく変わっていく。でかい避難所には物資が来ていたが、民家にはそんなに無いかん じ。僕らはやっぱりこっちの細い支援をするべきだと思った。あとは大変な事になってる老人施設の情報あったら教えてください。やはり同業として支援したい と思っています。

電気が復旧してるところがちらほら出てきて、ガソリンスタンドが営業しているから水道とかも少しは復旧してんのかと思ったら、全然だった。もっと水もって来ればよかった。
家が流されてしまった人は生活がまるごと無くなってしまったわけだから、必要なものって「全部」なわけで。僕らがカバーできる部分を現実的に考え たら、次回はも少し種類を絞っていこうかと思う。おむつや歯ブラシなんかはけっこうある感じ。やっぱり水・おかず缶詰は求められた。やきとり缶アソートは 「おお!」って言ってるおっちゃん何人もいたもんなw









帰り道になって雨が止んできた。だったらもう少し民家行くべきだったなー。
高速に乗る前にコンビニに寄ったが、まだ品物は少なかった。




若柳金成から東北道に乗ったら、また築館で事故通行止め。マジで事故には気をつけないと。ミイラ取りがミイラじゃないけど、こっちでこっちの人に迷惑かけるわけにはいかない。

はい、というわけで、お疲れ様でした…って終わらずに、細く長く支援を続けていきたいと思う。

「それぞれに出来ることを」っていうのは正しいし、否定する気なんかさらさらないのだが、もっとカッコつけれる人はカッコつければいいと思う。芸 能人なんかみんなここぞとばかりにカッコつけて金出せば良いのに。その偽善や売名行為で救われる人がいればそれでいいんじゃないの。
もちろん明白に誰も救えないような行為とかは問題外ですがね。

というわけで皆さん「支援したい俺」を支援してください。
またみんなの支援を被災地まで持っていきます。
お願いします。

俺にカンパしてくれたみなさん
物資を寄付してくれたみなさん
手伝ってくれたみなさん
情報あつめてくれたみなさん
応援メッセージくれたみなさん
もとやんさんたちNFKのみなさん、ならびにS×T×U関係者のみなさん
一緒に行ってくれたふたり
ありがとうございます。


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